『アンフェアの定義とは?』
本書は、犯人を読み解くための手がかりが全て与えられた中で、「やら
れた! だまされた!」と感じる最大級の意外性・驚愕感が味わえる、
真に良質で秀れた推理作品にして、クリスティーのみならず数ある本格
推理小説の中における最高傑作である。
しかし残念なことに、本書にはフェアかアンフェアかという論争が未だに
つきまとう。
私は、推理小説におけるアンフェア(不公正)とは、「読者に提供する情
報が、虚偽・虚飾であることを承知しながら、それを正しい情報であるか
のように伝えること」と考える。
この定義に照らし合わせれば、本書には何一つ読者に対して「虚偽・虚
飾であることを承知しながら、それを正しい情報であるかのように伝え」
たものはないのだから、本書はアンフェアではない。
しかし、本書をアンフェアであると主張する人の見解の多くは、読者から
見れば当然信頼すべき人物を真犯人とする設定にしたことが、読者に
対する裏切り行為、すなわちアンフェアであるというもののようである。
私自身はそういう人物も含めてすべての登場人物を疑うのが推理小説
読者の義務であると考えるので、本書がアンフェアであるとは思わない。
仮に百歩譲ってアンフェア派の主張を受け入れたとして、では読者が当
然信頼すべき人物を真犯人とする設定にした作品は本書だけなのか?
どうも私にはアンフェア派は単にこの作品が気に入らない、それを「アン
フェア」という言葉で正当化しようとしているだけのようにしか思えない。
しかし、アンフェアと主張するなら、それがどのような定義に基づくもの
か、そして、それが他の著者の作品においてはどうなのかも客観的・論
理的に検証してもらいたい。
それらがなく、ただ単に本書のみをアンフェアと主張するのはアンフェア
(不公正)な行為であると思う。